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先日放送されたNHKスペシャル「家で親を看取る その時あなたは」を観ました。

現在の日本では8割が病院で亡くなり、在宅で亡くなる人は2割程度だそうです。
超高齢化が進む中、国は“看取りの場所”を“病院”から“在宅”へと転換する政策を打ち出しました。
しかし、「治療は終わったので病院以外で療養を」と早期退院を求められても介護施設は満員で入れず、24時間対応できるヘルパーや在宅医などの在宅医療を支える社会インフラは不足しています。
そんな中で、家族は老いや死を突きつけられ、生命の選択を迫られるのです。

『胃ろう』は口から食物を摂れなくなった時、胃にチューブを入れて直接摂取できるようにする処置です。これが、高齢者の延命治療として行われています。
いったん胃ろうをしてしまうと、なかなか外すことができなくなります。外す=死だからです。
回復することもなくただ苦痛を長引かせるだけだと思っても、家族を死に至らせる選択は重い負担です。

私の父は25年前に79歳で亡くなりました。胃がんでした。
最後の最後まで治療を拒否し、自宅で最後を迎えました。
「口から食べられなくなるくらいなら死んだ方がまし」「病院で管につながれた年寄りを見て、自分はあんなふうにはなりたくないと思った」と常々言っていました。
亡くなる1時間ほど前、あまりに苦しそうなので「おじいちゃん、救急車呼ぼうか?病院へ行けば点滴してくれて楽になるかもしれないよ」と言う私に、必死で首を横に振って拒否の意志を示しました。
その時のことがあったから母の時は余裕を持って対応できたのでしょう。※「看取ってもらう覚悟」参照

SANYO DIGITAL CAMERA『老衰』というのは、食べられなくなって亡くなることなのだそうです。
そう考えると、私の両親はまさしく老衰でした。
木が枯れるように、自然に命の終わりを迎えたのです。
願わくば、私も同じように逝きたい。

私もいつかは看取られる。
良き“死”を迎えるためには、まずは良き“生”を生きねばなりませんね。

〈在りし日の母と次男〉