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母が入所している特別養護老人ホームから連絡があり、入院することになったという。重症の貧血で輸血が必要らしい。

母の入院は一昨年に続き3度目である。最初は発熱、次は血尿であった。いずれも大事には至らず数週間の入院ですんだが、母はすっかり衰え、一時は寝たきりになるのではないかと心配した。しかし、ホームのスタッフのおかげでなんとか車イスに乗れるまでに回復し、来月には95歳の誕生日を迎えようという矢先のことである。

さっそく病院に駆けつけてみると、母は混乱しきってベッドの上で布団を抱きかかえ、「帰してください!」と叫び続けていた。
声をかけても、目を固くつぶったままで、こちらの手を振り払う。一緒に行った娘のバッグに付いていたキーホルダーを引きちぎったのには驚いた。
娘も「おばあちゃん、元気だ」と目を丸くしていた。

認知症が進み、私たちのこともわからなくなっているが、自分の居るところが違うのはわかるらしい。

入院手続きを終えて帰る道すがら、つくづく考えた。
昔なら、ああいう年寄りは何の治療も受けずひっそりと衰えて亡くなっていったのだろう。
母の場合はどうだろう。
痛みがあってそれをおさめるための治療ならしらず、あそこまで嫌がっているものを入院させて輸血までする必要が果たしてあるだろうか。
本人が「治りたい、そのために治療してほしい」と考えるのならわかるが、母にとっては入院生活は淋しく辛いだけである。

母の年齢を考えて、延命治療は受けないつもりでいる。しかし、これは延命治療ではなく医療的処置だろう。
受けるか受けないかを本人でない者が判断することは困難である。

“今の母”にとっての幸せとは何なのだろう。
たとえ親であっても、他者の幸せを考えることの難しさが私の肩に重くのしかかっている。