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8月28日は母の四十九日法要だった。
母は7月10日に亡くなった。95歳3ヶ月だった。

5月末に今年に入って2度目の入院をしていた。昼食中に意識を失ったのである。
「よくもって後2週間」という主治医の見立てもなんのその、1ヶ月半以上も生き延び、7月5日に退院して大好きなホームへ帰った矢先だった。

7日の水曜日に、今後の介護方針について話し合うためにホームを訪れた時、ベッドの上で満足そうに(そしてちょっぴり偉そうに)していた姿が忘れられない。『ああ、帰れてよかったなあ』とつくづく思ったものだ。

話し合いは、生活相談員、介護スタッフ、栄養スタッフ、看護師、医師と我々夫婦で行った。
「延命処置はいっさい行わず、木が枯れていくように自然におくりたい」ので、飲食物は無理にすすめない、できる限り普段と同じ生活をするように心がける・・・等をお願いした。
また、容態が急変しても病院へ搬送するのではなく、側で手を握って声をかけてやってほしい、私たちが母の最後に間に合わなくても構わないということも伝えた。
施設のスタッフの方々には酷なお願いだったと思う。しかし医師、看護師の後押しもあり、「みんなで見守っていきましょう」と受け入れてもらえたことは本当にありがたかった。

そうは言っても、この時点では私はまだ母の容態を楽観視していた。なにしろ、何度も寝たきりの状態から復活し、今度は余命宣告さえ延長した年寄りである。「この夏は越すかもしれない」くらいに思っていたのである。

7月10日の土曜日は、さすがにもうパジャマより介護用寝間着の方がいいだろうと買い物に出かける支度をしていた。その日は昼食時に様子がおかしくなったとかで「経過観察します」との連絡は受けていたが、私はまだのんきに構えていたのである。
午後3時20分ごろ、母を担当してくれている介護スタッフから「呼吸が弱くなってきていますので、すぐ来てください」と電話が入った。

部屋に駆け込んで母の顔をひと目見た時『ああ、これはもう駄目だ』とわかった。いわゆる“死相”が出ていたからである。父が亡くなった時と同じだった。「もう脈が触れません」と母のそばについてくれていた看護師が私の顔を見て行った。
「私が来るまで待っててくれたんだね」

平成22年7月10日午後3時50分、母清子永眠。