岡山の社会保険労務士です。ストレスチェック実施の外注、就業規則等社内規程の作成業務委託、労務管理、社会保険の手続、給与計算の外部委託、記帳代行、経理のアウトソーシング事業者、新入社員研修、ビジネスマナー・コミュニケーション・メンタルヘルスなどの研修・セミナー・講演を実施しています。

特別養護老人ホーム『アダムスホーム』から電話があり、私がこのコラムに書いた「母をおくって」の記事をターミナルケアの研修に使わせてもらえないかというお話でした。
母は最期をアダムスホームで看取っていただきました。「母をおくって」にもそのあたりを詳しく書いています。
「どの記事のどの部分でも自由にお使いください」とお返事しました。

私は数年前から母の最期は病院ではなくホームにお願いしたいと思っていました。
急に亡くなるのでない限り、体調が悪化すると入院することになります。母は高齢なので完全に復調する可能性は低く、入退院をくり返すだろうことは容易に想像ができました。そういう場合は延命治療を施していたずらに苦痛を長引かせるのではなく、自然に逝ってほしい考えていました。
ホームが看取りについての調査を行った時にその意思を伝えてありました。

私が母の看取りを意識するようになったのは、数年前に家族会の総会で、ある女性の発言を聞いてからです。
その方はお母様を亡くされたばかりでした。
「(病院の)先生と施設の人とで話し合いをした時に、先生から『延命治療はどうしますか?』と訊ねられた。自分としては延命治療はしたくなかったが、なかなか決心がつかなかった。あの時、施設側がもっと強くサポートしてくれていたら決心がついたのに」
といった旨のお話をされました。

私はこれを聞いて「それは施設に対して酷だなあ」と思ったのを覚えています。同じ娘の立場としてその女性の心情は理解できます。しかし、施設はあくまでも介護の担い手であり、重要な判断は家族がしなければなりません。彼女は施設のサポートが欲しければ、はっきりそれを伝えるべきでした。
私は家族にも“看取ってもらう”覚悟が必要なのだと知ったのです。

そこで、母の看取りについての話し合いでも、そのことを伝える努力をしました。できる限り介護スタッフの精神的負担が少なくなるよう、家族としてできることはするつもりでいること。いつ、どんな形で亡くなろうと、また死に目に間に合わなくても構わないこと、などです。
そして、スタッフへの感謝の気持ちもきちんと伝えました。

最期はホームで、と言っていた家族が「こんなに苦しむとは思わなかった」と急遽病院に搬送することになり、結局そこで亡くなるケースが多いことを後から知りました。

長くお世話になり、様子がよくわかっていたこと、スタッフが誠実に対応してくれたこと、母が苦しまなかったことなどが看取りがスムーズにいったことの理由だと思います。
それでもやはり、家族の覚悟と決断がなければ施設での看取りはできません。親や連れ合いの命数を自分が決めることの辛さ、苦しさ。それを乗り越えてこそ、悔いのない看取りができるのではないでしょうか。

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