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たまご次男がたまごを食べられるようになりました!
彼はこの春大学を卒業して社会人になります。
かかりつけの医師から就職前にとアレルギー反応テストを勧められ、無事クリアできました。たまごを実際に食べてみるというテストです。
この10年の間に2度チャレンジしたものの、いずれも撃沈。
ほんのちょっぴり食べただけで口の中や喉が激しくかゆくなり、あきらめていました。

次男の子育てはアレルギーとの戦いでした。
長年の念願だった“たまごデビュー”を果たしたのを機に、少しふり返ってみたいと思います。

次男は生まれて2日目から血便が出て、産婦人科の病院からそのまま国立病院(当時)のNICUに入院して原因を調べましたが、結局わからないままでした。
のちにお世話になった小児科医は「原因はアレルギーではないか」と言っていました。

その後、生後1ヶ月で湿疹が出始め、激しい食物アレルギーがあることが判明しました。
当然ミルクは飲めず、母乳のために私自身が厳しい食事制限をすることになりました。
自然塩でゆでたキャベツや白菜(いずれも有機無農薬栽培のもの)、稗のおかゆ。
稗はいくら食べても満腹感が得られず、どんぶりで食べてましたっけ。
究極のダイエットですよね。
体重はおち、脂気がないためにひどいアカギレになりました。
(今ダイエットしてもなかなか効果がないのは、この時期の無理がたたっているのかも?)

「これは大丈夫だろう」と私が何か食べると、母乳を飲んだそばから次男の全身が真っ赤になり、泣き叫びました。
便がついたところは、まるで漆にかぶれたような状態。
食べられるもの、食べられないものは1つ1つ経験して知りました。
離乳食を始めるにあたってアレルギー反応のテストをすると、ほぼすべてのものに陽性反応が出ました。
最初の頃に食べることができたのはキャベツや白菜、稗や粟くらいでしたっけ。
ちょっとでも栄養がありそうなもの、味がましなものは全部だめでした。
調味料は稗や粟から作ったものを使い、次男用の調理器具も別に買いました。
炊飯器や鍋釜、菜箸まで別にしたのです。

水道水もだめでした。
県北の山地で汲んだ自然水というのをポリタンクで購入し、飲むだけでなくお風呂に入ったあとでその水を使って体を拭いたりしていました。
それ以外にも雨や、自分の涙やおしっこでもかぶれました。

栄養不良の上に、全身がかゆくて夜もぐっすり眠れない次男は成長が遅く、生後6ヶ月でやっと寝返りができるようになりました。
1歳半過ぎまでずっと下痢していましたし、ゆっくり朝まで眠るようになったのは2歳を過ぎてからでしょうか。
次々と病気をくり返しましたが、一番困ったのは抗生物質が使えなかったことです。
どの薬も1クール(3~5日)服用すると次は同じものが使えませんでした。
次から次へと使えない薬が増えていく。
「おかあさん、この子は自力で治すしかないんだから、病気にならないようにね」と医師に言われ、震え上がった覚えがあります。

そんな中で、幼稚園に通い出していた長男が喘息を発症。激しい発作をくり返しました。
その下には長女もおり、私は疲れ切ってしまいました。
いま思い出しても、あの頃どうやって日々を過ごしていたのかあまりよく覚えていないのです。
ただ毎日が必死で、不思議なことに大して悲観的でもなかったような気がします。
人間追い詰められると思考停止して、目の前の必要なことだけに集中するのかもしれません。

そんな次男もなんとか成長し、幼稚園という外の世界へ踏み出す時がきました。
そこでは家の中とは異なる状況が待ち受けていたのです。